シフト・アシスト研究所

経営改革記の実例 [導入実例]

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『再建請負人 須田知身 経営改革実例集 Vol.3』 
〜会社転生編〜

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『きれいにカイシャをたたむ方法』
 〜借金のどん底に経営の要点が見えた〜

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『小さな小さな会社の経営改革実践実話』

『小さな小さな会社の経営改革実践実話』
 
岡山県倉敷市にある石碑施工会社、虚趨{石材工業は、総人員四人の小さな会社です。この会社が、それまで抱えていた多額の借入金をすべて返済し、この二月に見事に無借金経営に転換しました。

経営改革に当たっては、私の先輩にあたる企業再建コンサルタントの須田知身氏が支援したのですが、この度、改革が一段落したことを記念して、経緯が小冊子としてまとめられました。私はその小冊子のライターを務めさせて頂きましたので、その内容の一端をご紹介します。

武本石材は年商約3500万円ですが、改革をスタートさせた当時は総額4600万円近くの借入金がありました。年商の1.3倍の借入ですから、かなり危機的状況です。

財務諸表を詳しく分析した須田氏は、改革の方針として、以下のことを提案しました。

・借入金返済額は年間1000万円
・原資捻出のために経費を削減する

しかし、一口に経費を削減するといっても簡単ではありません。そもそも武本石材では無駄遣いをしていたということではなく、一般経費での削減余地はほとんどありませんでした。

そこで、経費削減は人件費削減で行うことにしました。といっても四人の零細企業ですから、リストラするわけにもいきません。

四人の給料、特に役員である社長と長男の報酬を極限にまで下げることで、なんとか返済原資を捻出するしかありませんでした。

改革前には、社長と長男の2人で年間1300万円あった報酬を、なんと300万円にまで減らすことにしたのです。削減額はちょうど1000万円。これから2二人は、月に25五万円で生活していかなければなりません。普通に考えたら、とてもやっていけない金額です。

しかし、社長も長男も、3年半の間、この生活に耐え、見事に借入金を完済しました。「出るを制し、入るを図る」というのは、口で言うのは簡単ですが、実際にはなかなかできることではありません。

小冊子の執筆を通じて、私は次のような教訓を導きだしました。

@長期展望のない、当座しのぎの借入はしてはならない。
A分相応の支出を心がける。
B一旦決めたことはやり抜く。

そして、なんといっても一番感じたのは、「依存性」から脱却して「自立性」を高めなければならない、ということです。

武本石材は、石材製造・販売業の中谷石材の委託を受けて石碑を施工する業態をとっています。ですから、自分の力で売上げをコントロールすることが難しいのです。売上げが落ちてきているにも関わらず、支出を減らさなかったことで、借入額が膨らんでしまいました。

このように他社に依存している度合いが高いと、経営はままなりません。大切なのは相互依存ではなく、互いに自立しながら役立ちあう「自立連帯」です。

私自身にとっても、いかに依存性から脱却し、この自立連帯を実現できるかが大きな課題だと感じました

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小さくても志は大きく
『福井県村上建設経営改革記』
〜和道経営の実際〜

『福井県村上建設経営改革記』

〜小さくても品格ある企業を作る〜
「愚直さが成功を呼ぶ」

福井県鯖江市にある株式会社村上建設は、社員6名の小さな会社です。一時、経営危機に陥りましたが、企業再生スペシャリストの須田知身氏の支援により、見事に復活を遂げました。私の大先輩である須田知身氏が、どのように改革を指南したかを追ったのが、この小冊子です。

平成11年、村上建設は資金繰りに苦しんでいました。紹介で依頼を受けた須田氏は、財務諸表を詳細に調べ、このままでは危ない、と判断します。 

長期借入金と短期借入金を合わせた負債総額が、粗利益額の4倍近くにも上ります。創業して10年以上経つのに、余剰金もほとんどありません。
話し合いの結果、創業者で当時の社長である村上廣昭氏が、断固たる決意で経営改革に取り組む決意をし、須田氏がそれをサポートすることで合意しました。

経営改革には、大きく「外科治療」と「内科治療」があります。外科治療とは、資産の売却などで負債額を減らすこと、内科治療とは、会社の体質改善により、経営を安定させることです。

外科治療として、隣地を売却し、借地を返還しました。また、定期預金を解約して、短期借入金を長期借入金にシフトしました。さらに、経費を削減するために、村上氏の給料を、約2年間、月額10万円にしました。

一方の内科治療は体質改善ですから、時間がかかります。幸いにも、村上建設には確固とした「理念」がありました。その理念を基に、須田氏はいくつかのユニークな改革を提案しました。

まず「先縁尊重」の営業方針です。入札に頼る公共工事から脱却し、個人客にシフトしました。また新規顧客開拓をせずに、今までに仕事をさせていただいた顧客を訪問し、関係を強化しました。ニュースレターを毎月発行し、顧客とのコミュニケーションを図っています。

また、環境整備にも力を入れました。以前の事務所は、書類やサンプルなどが乱雑に積み上げられ、社員同士の顔が見えないほどでした。「汚い会社の業績は悪い」というのが須田氏の持論です。

まず、事務所内にある什器や書類、サンプルなどを、どんどん捨てました。トイレ掃除も徹底して行い、便器が舐められるくらいにピカピカになっています。

社員の自立性を高めるために、全員が一旦退職し、個人事業主としてあらためて会社と契約しました。こうした形態を「自立連帯」と呼んでいます。

こうした改革の結果、平成20年現在、あと3年で無借金というところにまでたどり着きました。一時期落ち込んでいた粗利益も一年前から上昇に転じています。

現在の村上建設に対して、ある協力業者さんは、「暖かい会社だ」と表現しています。流行り言葉で言えば、「小さくても品格のある会社」と言えるでしょうか。

こうした経営改革を成し遂げることができた一番の要因について産婆役の須田氏は、「何よりも、一度決めたことを最後まで愚直にコツコツとやり抜く体質があったことでしょう。」と評しています。

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プロフィール

小早 祥一郎

シフト・アシスト研究所

所長

小早 祥一郎

1968年、神戸生まれ。
 小中学校の3年間をインドネシアで過ごす。日本の「常識」が必ずしも世界の常識ではないことを学び、常に本質を問い求める性格が形作られる。
 1991年早稲田大学第一文学部卒業後、日産自動車(株)に入社。人事部門で、労務管理や社員教育、福利厚生などを担当。企業年金制度改革プロジェクトのリーダーとして、大幅な債務削減に成功する。環境問題対策部署においては、自動車メーカー初となる全国ディーラー網への環境マネジメントシステムの導入を一人で担当し、社内の環境意識の高まりのキッカケを作る。
 一方、独学で英語をマスターし、英検1級を取得。海外の自動車ディーラーに廃車適正処理を行うよう、呼びかけるなど、業務にも大いに活かす。
 2003年、最年少課長への昇進を目前にして日産を退社。「より人間らしい生き方」を求めての旅の途中で師に出会い、「志ある生き方」の薫陶を受ける。
 その後2年間、師の下で問題解決学、情報統合技術、和道、脳力開発、リーダーシップ、経営管理などを学び、世界に数人しかいない問題解決インストラクターの資格を取得。
 2005年、「志ある人材の輩出」を目的にシフト・アシスト研究所を設立し、各地で研修や個別相談を行っている。

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