創業物語の実例 [導入実例]

『コンクスハウジング創業物語〜合縁奇縁〜』

『きもの満、屋創業物語』

『有田式経営人材育成法』
〜一人一分社で高崎を創業の街に!〜
『コンクスハウジング創業物語』
今回、群馬県高崎市の注文住宅メーカー、潟Rンクスハウジングの熊井戸美佐夫社長の創業物語の制作をしました。
熊井戸氏はユニークな経歴の持ち主です。高校時代は野球部で、エースで四番、あと一歩で甲子園という大活躍をされました。大学卒業後、S建設に入社して現場監督を一一年間務められましたが、自分の想いと会社の考えにギャップを感じ、単身赴任をキッカケに退職します。
その後、ご縁のあったG商事に就職。当時G商事では多角化経営を進めており、各部門を分社化して幹部を社長に据えていました。熊井戸氏も、住宅部門の社長に任命され、大きな失敗を経験しながらも、徐々に業績も上がってきた頃でした。
突然、G商事の親会社から、「住宅部門を閉鎖する」という宣告を受けたのです。長年、業績が低迷していたために、リストラされてしまったわけです。
しかし、熊井戸氏には、抱えているお客様とスタッフがいました。彼らを放り出して、「はい、辞めます」というわけにはいきません。熊井戸氏は、「私がすべて引き継ぎます!」と、独立する道を選びます。
しかし、今までは気楽な雇われ社長だったために、いざ独立するとなると、分からないことだらけです。
信用金庫に行き、融資のお願いをしました。また、職人さんたちに、引き続き仕事を引き受けてくれるよう、お願いしました。お客様に対しても、契約を引き継ぐ旨を告知しました。スタッフにも、独立後もついて来てくれるかどうか、打診しました。結局、すべての関係者が、今までと変わらぬお付き合いを続けてくれることになったのです。
そして今年、創業から一〇年目を迎えることができました。
熊井戸氏は、どこのフランチャイズにも属していません。また、低価格で集客するようなこともしていません。お客様のご要望を丹念にヒアリングして作り上げる、完全オーダーメイド住宅です。
低価格で、画一的な間取りで家を作ることで、果たしてお客様を満足させることができるのかどうか。それが本当の意味で、お客様の幸せに繋がるのか。熊井戸氏は疑問を持ちます。
「ほとんどの家族にとって、家作りは最初で最後の経験になります。ですから失敗は許されないのです。」
「『安い』と喜びを感じるのは一時です。しかし『世話になった』という気持ちは、いつまでも心に残るものなのです。」
自身の半生を振り返り、氏は「時が経つにつれて、あの時リストラしてくれたからこそ、今の自分がある、と感謝できるようになりました」と言います。
インタビューしながら、私は共感して何度も何度も頷いていました。
『きもの満、屋創業物語』
群馬県高崎市に本拠を置く呉服店『きもの満ヽ屋(まんてんや)』は、社長の長谷川達也氏が創業し、十年目を迎えます。
節目の年に当たって、これまでの歩みを振り返り、今後の方向性を明確にするために創業物語を作ることになりました。私は、ライターとしてその執筆のお手伝いをさせて頂くことになりました。
執筆に当たり、最初に三時間ほど長谷川社長にインタビューをしたのですが、聞くほどに、何とまあ、こんな面白い人生を歩んだ人がどれほどいるだろうか、というくらいに波乱万丈の人生だということが分かってきました。
若い頃には、外国航路の船乗りだったそうです。船のエンジン爆発事故で怪我をしてから船を降り、その後は数多くの仕事を転々とした後、地元高崎の呉服卸会社に就職。そこで二十五年間働いた後に、独立・開業されたのです。
独立の動機は、「より多くの方に着物を着ていただきたい」ということだそうです。呉服屋と言うと、ちょっと敷居が高い気がします。売っている商品も、確かに高額なものが多いのです。しかし、これでは一般の庶民は着物を着なくなってしまう。それではいけない、一般の庶民も気軽に着物が楽しめるようにしたい、という思いで独立・開業に踏み切られたのだそうです。実際お店には、他店の三分の一から半値で、しっかりした着物が売られています。
インタビューしながら、予想もしていなかった奇想天外の経緯に、私はどんどん引き込まれていきました。面白い。
しかし面白いだけではありません。そこには確かに、我欲だけではない、商売に対する熱い想いが感じられます。「志」と言っていいでしょう。
この創業の志は、ぜひとも明文化しておく必要があると感じました。店で働く社員さんたちに向けて、そしてお客さまに向けて、創業の想いを正確に伝えることは、社長としての重要な仕事です。ですから、今回の創業物語の制作は、誠に意義あるものだと思います。
創業物語を読むことで、社員さんたちのモチベーションに大きな好影響を与えることでしょう。お客さまは、社長やお店に対して、非常な親近感を持つことでしょう。言い換えれば、創業物語を通じて、社長は多くの人々に自分の思いを直接語ることができるのです。創業物語が、社長の分身だとも言えるでしょう。
そんな大切な役目を負っている創業物語の制作をお手伝いできたことは、私にとって大きな幸せでした。
『有田式経営人材育成法』
今回は、私がお世話になっている、高崎の事業家・有田邦夫氏の前半生をまとめるお手伝いをさせて頂きました。
有田氏の事業を貫く軸は、「地域密着型で消費者に直接貢献したい」「複数の企業の総体で発展したい」「経営者を育てたい」という三点です。
有田氏のお父様は、一部上場企業の群栄化学工業鰍フ創業者です。有田氏は大学卒業と同時にお父様の支援の下、関連会社である群栄商事鰍立ち上げて、親会社の周辺事業を行ってきました。
しかしいつしか、「何かが物足りない」と感じ始めます。自分が本当にやりたいことは何なのかを真剣に考え、そして出た答が、前述の三点だったのです。
もともと有田氏は、アイデアマンでした。世の中の動きを見ながら、色々な事業アイデアが浮かびます。
最初に、高崎市の全一〇万世帯に配布する無料情報誌「ちいきしんぶん」を創刊します。各家庭に個別配布することで、個人の情報やニーズを汲み取ることができるのではないかと考えたのです。
まず社内で事業部を立ち上げ、後に部下を社長に任命して分社します。今では高崎で「ちいきしんぶん」と言えば知らない人はいないくらいの地域の顔≠ノなっています。
次に、個人向け住宅部門を立ち上げます。地元のゼネコンから人を引き抜き、部門長に据え、しばらく後に分社します。その後グループから完全に独立して、現在は木にこだわった家作りで、お客様からの紹介主体の会社に成長しています。
また、後継者難から廃業を検討していた学生服メーカーを買い取り、グループ内企業として社長を派遣したこともあります。この会社も、後に独立しました。
高齢者活用のための便利屋事業も起こし、定年を迎えた社員を社長に据え、独立させました。
しかし一方で、立ち上げたものの思うように収益が生み出せず、廃業した事業もいくつかあります。
有田氏は、事業のアイデアが湧いたら、とりあえず事業部なり会社を作り、部下を社長に据えてやらせてみます。あとは任せた社長の実力次第。細かいところには、ほとんど口出ししないと言います。
ただしその前提として、普段から社内研修としてMGという経営シミュレーションゲームを取り入れ、社員達が経営感覚を養えるように心配りをしています。
有田氏のやり方は一見乱暴にも見えますが、氏から独立した社長さんたちのインタビューで多かったのは、「放任してくれたことが、今思うと自分を成長させてくれた」というコメントです。
「経営者を育てたい」という想いが一貫していれば、具体策は多少乱暴でも良いのかも知れませんね。